深川不動尊の護摩祈祷はビリビリと震える熱さだった

うちの社はコンピュータをあれこれする会社なので、コンピュータをたくさん格納した部屋がある。サーバ室というやつだ。そんなコンピュータまかせのSIやさんではあるがサーバ室にはおフダがある。サーバの安全稼働祈願というかそういうたぐいの奴だ。おいおいお前らシステマチックに動くのを推進する奴らがそういうあいまいなもの持ち込んでどうするよと言われそうだけれども何事も最後は神頼みなのだ。

今年も無事年越し処理をエラーなく乗り越えたので、おフダを返し、また新たなおフダをもらってくるというお仕事があるのだ。場所は 成田山 東京別院 深川不動堂 である。

ありがたいおフダをいただくには事前に申し込みをしておく必要があるので、昨年のうちに申し込みは済ませてあった。

電車を乗り継ぎ門前仲町の駅を降りたら徒歩5分ほどで深川不動尊に到着。受付で正月の護摩祈祷の手続きを行い本堂に入る。

面積はそんなに広くはないが天井が高く立派な飾り付けがされており大きな太鼓が4つ並んでいる。

袈裟を着た坊主が一人、マイクに向かってひたすら名前を読み上げている。祈祷を受ける人だ。個人名もあるが法人名が多い。ナントカ株式会社ナントカ営業所、とかナンチャラ商店ナンチャラ社長、といったようなものだ。その中に我々のサーバ室の名前も無事読み上げられた。あったあった。よし。

祈祷の時間になると照明が暗くなりほら貝の音が鳴り響き偉い坊主たちがのそのそと多数やってきた。それぞれが自身の役割に応じた場所に座りモニョリモニョリと真言を唱え始める。静かな部屋に低い声が静かに響く。チーンチーンと鐘の音が静かに響く。

坊主たちは壇の上で護摩木をキャンプファイヤーのように組みそしてそこに火を放った。ゴウッと炎があがる。なにやら金属製の丸い形状の装置の上に護摩木を並べているのだがあれはもしかして焼肉屋さんのテーブルに埋め込まれている肉を焼くアレのようなものなのではないかと想像してみたりしたがどうだろう、全然違うものかもしれない。いやむしろ違うだろう、焼き肉はないだろう。坊主は肉を食わないのだ。

などと油断していたところで突然空気が破れた。まさに破れたといっていい。静かに張りつめていた空気が太鼓の音でバリッバリッと大変エッヂの立った波形でもって震え、真言の波でうつらうつらとしかけていた祈祷客たちはびくっとする。内心ではイメージの中の自分は飛び上がっていたに違いない。そう思うくらいの鋭い音が攻めてくる。

そこから先は4つの太鼓がかわるがわるリズミカルに攻めまくってくる。袈裟を着た坊主が二人と修行僧のような恰好をした坊主が二人の合計四人がえらく力強く叩く叩く。太鼓エンタテインメント的な団体のもとで修業をしているのではないかと思うほどに迫力がある。特に修行僧の格好をした二人の腕の振りの美しさ。振るう腕や撥は残像でしか見えずだがそれはたいへん美しい手首のしなりなどから繰り出されるのだろうなということがよくわかる。左右の太鼓がしっかりとシンクロし、さすがにSynchronized DNAとまでは言わないけれどもひたすらに空気を震わせ続ける。

そのあいだにも護摩木を包んだ炎は大きく燃え上がりセンターの坊主はなにやら燃えるものを護摩木にひょいひょいと振りかけながら護摩祈祷パーティーはエンディングに向かって熱を高めてゆき四つの太鼓がドンとシンクロしたところで静寂を取り戻した。

護摩木を包む炎は急激に勢いを落としてゆき、もぞもぞと真言を唱える坊主たちが一斉に黙ったところで祈祷は終了した。複数人がブオーブオーと吹くほら貝はチューニングがあっておらず、それぞれのほら貝の大きさが違うからかそれとも技量に差があるからか、少し調子はずれなハーモニーを奏で、そして坊主たちは袖の方へとはけていった。

本堂の中の空気がふっと緩み日常の軽さが戻ってくると人々は急いでお札を受け取る窓口へと駆け出した。素敵な時間だった。仏教エンタテインメント。